映画『折り梅』製作の集い報告  (平成13年終了)

 日時 : 2001年2月23日(金曜日)7時00分P.M.~10時00分P.M.
 場所 : 豊明市文化会館大ホール
 当日は梅の花もいっきに咲くような暖かな日になり、会場には700名弱の入場者が訪れました。
 壇上には草月流『折り梅』が生けられ、パネリスト4名が横一列に並んで座り司会者、藤原淳子さんによって始まりました。

都築龍治豊明市長の挨拶

  (趣旨) 1999年5月、「忘れても、しあわせ」の映画化を支援する市民の会より陳情があり、(署名約1万人 支援団体15)(内容:映画製作資金5,000万円ロケ時の物心両面の支援) 1999年6月の市議会で趣旨採択、地方振興交付金の還元金(配当金)がはいることとなったので、3年分3,800万円の拠出を決定、残り1,200万円は市民カンパでまかなうことになりました。 補助金の出し先は「豊明市映画製作実行委員会」に対して行い、「豊明市映画製作実行委員会」は映画会社と契約を交わします。 全国の人が感動してもらえるような映画を作ってもらうことが第1だと思います。
     

近藤弘子実行委員長の挨拶

  (趣旨) 最初に皆様のご支援への御礼を申し上げます。厳しい財源の中、何とか補助があったことで、その内容を次のように意義づけできるのではないでしょうか。
 1 豊明市民の原作であり、豊明市内が映像に残る(ロケ地として多く使われる)
 2 介護、特に痴呆介護を家族協力によって行う姿が映像化される
 3 市民が同じ目的で行動することで一体感が生まれる
 4 人の出入りによる豊明への経済効果
 5 映画作りで、目に見える効果がない文化への豊明市民の文化意識を高めることの大切さ
 (1) 製作ボランティアへの参加
 (2) 一口1000円のカンパ(映画が出来上がったとき、自分たちが関わったという感動を味わう)

新藤次郎プロジューサーの挨拶

  (趣旨) 不況の中、映画製作に5,000万円支援をするという決断に対してお礼申し上げます。 映画製作側としてプレッシャーを感じます。何稿ものシナリオを書き、"いいものになる"という自信があって作るのだけれども、スタッフ、キャストあわせて100名近い人間が参加し40~50日で撮影、30日の編集作業をしていかなければならないことは大変なことです。 キャスト紹介 原田美枝子・吉行和子・トミーズ雅(会場から笑い?)・中島ひろ子・金井克子(年配者に反応あり) 映画作りをみなさんに理解できるようにしたい。この映画作業をみて、映画"通"になってほしい。3月中から撮影して5月連休明けから6月にかけ豊明市内ロケを行う予定です。
     

松井久子監督の挨拶

  (趣旨) 「忘れても、しあわせ」に出会ったのは1998年12月。それから3年近くたって、映画化できるようになったのは皆様のご協力とご理解のおかげと感謝しています。映画が出来上がったときに"ああ、この人に作ってもらってよかった"と思われるような映画を作りたいと思います。"雲の上の監督"ではなく、みなさんと一緒に作るという気持ちでいます。 「忘れても、しあわせ」から『折り梅』というタイトルに変更したのは、痴呆介護に携わるということは、"生きることを見つめる"ということ、「忘れても、しあわせ」というと介護だけを連想させるので、決して介護映画ではないとの思いで『折り梅』というタイトルにしました。 また、原作「忘れても、しあわせ」を読んでいる人も多いけど、映画のキャラクターと本人たちを重ねあわせないでほしい。映画はたくさんのフィクションが入れてあることを理解してほしい。 (原作者小菅もと子さんを監督が紹介。原作者 会場席より立ってみなさんにお礼。)
     

Q&A

Q(女性):市町村で映画づくりに例はあるのですか。
A(新藤プロジューサー):
 (1) 静岡県の豊田町「アイ・ラブ・ユー」で支援
 (2) 群馬県で「眠る男」を全額(4億5000万円)。当時の知事が議会を説得したそうだ。
 (3) 京都市が京都映画祭を上限1億円で半額支援。 「心の豊かさを育て、自治体のプライドが生まれる。」ハコモノだけでなくソフトにお金を投じる気運がうまれてきている。

Q(男性):マサ子さんの絵がどう表現され、どのように使われるのですか。
A(松井監督): 「マサ子さんの絵があるからこの映画ができる。」絵を描くことによって他の人たちから誉められることが痴呆患者に必要であることなどを絵を使って表現したいと思っている。
Q(男性):ぜひ成功してほしい。この映画を作ることで、豊明の文化が花開く。文化は人の心を動かし、政治も動かす。

A(都築市長): 市民の文化的活動に側面から応援していきたい。

その後、松井監督作品「ユキエ」上映