とよあけコラム花マルシェちゅうごくかんしゅくしょうしゅこがね いろフーショウツァオチャンショウジューこうなんじゅんこうツァジンジャーンフアしんちょうけんりゅうていはんとしょうほうまつえはくばいいろがんじつそうほんぞうしょしゅはいかいさほうしょけふきぐさしげよりかんいちのじょあらはいかいだんこうもくなかしか き のことばおうばいなり、その呼び名が『福寿草』になったのだといいます。しかし、乾隆帝の時代よりも一世紀程前、すでに日本には福寿草の名が登場しています。日本国内の記録では、俳諧の作法書『毛吹草(正保元年、松江重頼)』の巻一序に「先立春ハ福寿草の花黄梅白梅乃色香もあら多ま里つ白梅の色香も新たまりつついとをかし)」と紹介され、同じく巻二俳諧四季之詞の正月に「福寿草元日草とも」とあることから、江戸初期には正月の句会で詠われていたことが窺われます。その後も『花壇綱目』以下数々の本草書や園芸書、そして浮世絵にも登場し、幕末の頃には正月を代表する花となっていました。フクジュソウは高原や山林を生かした公園などで見ることができると思います。少し暖かくなったらお出かけの上ご観賞ください。ただし、キンポウゲ科の植物の例にもれず、有毒なので、触らないようにしましょうね!執筆/愛知豊明花き流通協同組合理事長永田寒を過ぎたものの、まだまだ寒い日が続きます。しかし、日足は日に日に長くなっており、ついとお可し(まず立春には福寿草の花、黄梅、今月も中頃からフクジュソウの便りも聞こえてくることでしょう。「フクジュソウってお正月の寄せ植えに入ってるやつでしょ!もうとっくに花は終わってるんじゃないの?」あ〜、それは元旦に合わせるように開花調整しているものでして、本来は2〜3月に花が咲きます。フクジュソウはヨーロッパから中国甘粛省、シベリア、中国東北部、朝鮮半島、そして日本にかけて生息するキンポウゲ科フクジュソウ属に分類される種で、日本には4種が自生しています。それぞれの地域にフクジュソウの種があり、微妙な違いがありますが、その多くは黄色い花を咲かせます。このうち中国と日本にあるフクジュソウは、どれも黄金色と呼ぶにふさわしい色彩で、それが富貴さや長寿の象徴として、中国でも福寿草、長寿菊などの名前が与えられています。ちなみに中国での正式名は側金盞花(ソクキンセンカ)です。中国の伝説では、福寿草の呼び名に「福ふく」「寿じゅ」が有るのは、清朝の乾隆帝が江南に巡行をした折、この草を撫でたことに由来しているようです。乾隆帝は清の版図を最大に広げたばかりでなく、その寿命も中国歴代皇帝第二位を誇ります。この行動は乾隆帝の優しさを示すとともに、撫でられた草にも神聖なイメージを与えることと晶彦とよあけの自然ハンノキ〜真冬に目立たない花をつける水辺の落葉樹〜春を告げるフクジュソウ(Takasah/PIXTA)雄花序を多数つけたハンノキ(奥)サクラバハンノキの雄花序(上方の黒いのは果実)30広報とよあけ| 2025.2 |写真/筆者撮影 1月も半ばを過ぎると落葉樹は葉をすべて落とし、寒そうな冬の姿となっています。そんな時期、長さ4〜7cmほどの茶色い細長いものが木の随所に垂れ下がっている木に出合うことがあります。それがハンノキです。 ハンノキは落葉高木で、大きいものではゆうに高さ10mを越えます。おしべだけある雄花とめしべのみある雌花が別々に付き、茶色の垂れ下がっているものは多数の雄花の集まり(雄花序)です。雌花序は雄花序からやや離れたところにあり、秋に2cmほどの楕円形の果実となります。 水辺を好み、市内では丘陵地やその周辺の数か所で見られます。根元が浅く水につかり、近づくとぬかるむような場所によく生えています。ただ、なかには開発によってハンノキが生えた頃にあった湿地がなくなってしまい、「どうしてこんな所に?」と頭をひねる場所に見られることもあります。 二村山に1本だけあるハンノキもその一例で、隣地が削られたときに水脈が絶たれ、湿地であった環境が失われてしまったものと思われます。その近くには準絶滅危惧種に指定されている近縁種サクラバハンノキも1本だけ生えており、両種ともその幼木は見当たりません。この2本の木に垂れ下がる雄花序を見ると、かつてその場所が湿地だった頃に思いをはせ、来年もこの姿を見せてほしいと願ってしまいます。豊明市史(自然)執筆員 浅野 守彦
元のページ ../index.html#30