広報とよあけ 令和3年11月1日号
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伊藤両村 私が初めて豊明を訪れた時、二村台という地名を知りました。なぜ二村なのかと思っていると二村台の近くには二村山という丘があり、そこから名前を取ったのかと思いました。山のふもとにある小学校は今は二村台小学校になっていますが、双峰小学校でした。そして、伊藤両村という庄屋の名を知り、二村、双峰、両村となんだか似たニュアンスだなとずっと思っていました。二村山が豊明の人たちにとって重要な意味を持つのではないかと考えました。二村山を訪ねてみると多くの歌碑や記念碑が建てられており、その中には源頼朝の詠んだ﹁よそに見しをささが上の白露をたもとにかくる二村の山﹂もあります。ここは古代の東海道や中世の鎌倉街道の通過点にあたるところで、低いながらも山頂からの景色はすばらしく、遠く伊吹山、猿投山を一望に収めることができ、すぐ下には勅使池を眺めることができます。昔の旅人はここまで来て、一休みしながら素晴らしい景色を愛でていました。 両村(諱いみなは逸彦、通称 民之輔)もそんな二村山に魅了され、自分の雅号を両村としたのでしょう。 両村は、1796年(寛政8年)沓掛村中島の庄屋の次男として生まれました。中島地区は今の中央小学校の東側から境川にいたる地域です。次男でもあり、学問の好きな両村は鳴尾村(名古屋市)の永井星せい渚しょに学び、さらに1818年(文政元年)からは難関の幕府直轄の儒学校である昌平坂学問所で学びました。3年間学び帰郷し、学問をさらに深めようと儒学の塾を開きましたが、長男が庄屋を引き継ぐことができなかったため1829年から庄屋を務めることになりました。両村が生まれたころ中島は沓掛村の枝郷にすぎなかったのですが、1800年(寛政12年)に尾張藩が沓掛中島村として一つの村に独立させています。 江戸時代になると石高を増やすためさかんに新田開発が行われましたが、そのためには多くの水が必要です。勅使池の水を使っていた地域は広く、大量の水が必要となっていました。そこで、勅使池の下に新たに池を作ることになり、徳田池が作られました。もともと田のところを池にしたのでその替地として中島地区が選ばれたのです。1643年(寛永20年)のことです。ここは勅使池、徳田池の水が流れる一番末端の場所でしたから、本田扱いとなっていたものの水不足に悩まされることになりました。 そんな村の庄屋となったのですから、両村はいつも水不足を解消できないかと悩み続けました。収穫がほとんどないときは村人に米や麦を提供したり、お金を貸与したりしました。当時はげ山同然だった二村山に桜千本の植樹もしました。 庄屋としての実績を尾張藩が認めるところとなり、1831年(天保2年)に名字を1838年(天保9年)に帯刀を許したので、この時から﹁伊藤﹂を名乗るようになりました。 そんな中でも両村は1830年(天保元年)ごろから儒学の塾を開き近隣の人々に教え、また漢詩修練のための﹁両村吟社﹂を起こして多くの弟子を集めました。1845年(弘化2年)からは刈谷藩主の土井利祐からの招きを受け教授し、次の藩主土井利善まで約15年にわたって行いました。扶ふ持ち(給与)を受けることなく身を清めたうえで徒歩で通ったといいます。 両村は昌平坂学問所在籍当時も含めて大槻盤ばん渓けい、斎藤拙せつ堂どう、植松茂しげ岳おから幕末のすぐれた学者ら多彩な人々との交友がありました。また、門人として天誅組の乱(1863年)の首謀者の一人となった松本奎けい堂どうや、中島金右衛門義信、神谷新兵衛、中野清きよ風とう、加藤誨かい輔すけなど次の時代に豊明のために働いた人がたくさんいます。 両村は、1859年(安政6年)、63歳で亡くなり、墓所は中島の禅源寺にあります。 水不足に悩みながらもなかなかその解決に至らなかった両村でしたが、門人の中島金右衛門義信や神谷新兵衛らがその遺志を継ぎ、勅使池の堤を1メートル余り高くする工事を行い、その水量を大幅に増やすことができました。その詳細は二村山にある彰功碑に刻まれています。 現在は愛知用水が通り、勅使池はその調整池になっています。 水の心配はなくなりました。 勅使池の水を使っていた現在の地域を見ると、本郷地区や上高根、下高根などは今でも青々とした田んぼが広がっており、米作りが続けられてきたことがわかります。一方中島地区やその周りは住宅地や商業地区として発展しているところが多く、やはり米作りよりそれ以外の土地の利用を進めていったことがわかります。その変化を両村はどんな思いで眺めているのでしょうか。 新田町大割に両村の塾址があり、令和2年4月1日に市指定史跡になりました。小さな史跡ですが、かつてはそこに350坪ほどの両村宅があり、その中に塾がありました。そのほかにも二村山や禅源寺に両村に関するものがあります。散策にちょうど良い季節、訪ねてみてはいかがですか。 なお、11月には豊明市立図書館の展示室で﹁伊藤両村 郷土に尽くした学者の庄屋さん﹂展を行っています。のぞいてみてください。文化財保護委員 相場 眞規子文化財特集生涯学習課生涯学習・文化財係 ☎0562-92-8317問合せ両村塾址(市指定史跡)伊藤両村先生(市指定有形文化財)禅源寺所蔵<SDGs説明>24No.900 2021年11月1日号

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