広報とよあけ 令和3年7月1日号
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 オシロイバナは、ペルー他中南米原産のオシロイバナ科オシロイバナ属の種しゅで、十六世紀ペルーから欧州各地に広がりました。日本ヘの伝来は『花か譜ふ』(貝原益軒、元禄11年)下の七月に「白おしろい粉花はな 花黄赤二種あり正月二月にたねをう(植)ふ。甚はなはだ茂しげり盛さかす。ふる根も又生す 泥でい土どによろし。七月に花開く 秋ふくるまて花あり。昼はしほ(萎)み 晩にひらく(種)子は胡椒のごとし。うちに白き粉あり。黒こくでい泥をそそ(注)けは盛長し花多し」とあることから、17世紀末までには入ってきて、すでに栽培が始まっていたと考えられます。 オシロイバナ最大の特徴は上記『花譜』に語られているとおり、一本の株でも濃桃~白~黄の色幅の花が咲き分け、さらに絞り模様の花も見られるところ。花色と絞りの入り方は一輪一輪で微妙に異なるので、変化の激しい株では、あたかも何種類もの品種が混じって植わっているかのように見えます。花色の変化は遺伝子の優劣と転移による結果ですが、この説明については生物学の分野になるので割愛させていただきます。 オシロイバナの名前の由来は『花譜』にもあるように、熟した種たねをつぶすと、おしろいのような白い粉が出てくるところからです。 「ええ、私も子どものころ良く鼻の頭に塗ったりして遊びましたわ!」 そうですか。特に昭和以前の女の子にはとっておきの遊び道具だったようですが、なんと、この白はく紛ふんは歴史上実際に化粧品として使われていたんです。中国の四スーダーミンジュー大名著(よんだいめいちょ)に数えられる『紅ホン楼ロウ夢モン(こうろうむ)』(18世紀中、曹ツァオシュエチン雪芹(そうせっきん))第四十四回の『变生不测凤姐泼醋 喜出望外平儿理妆』では“这不是铅粉,这是紫茉莉花种研碎了,对上料制的” 平儿倒在掌上看时・・・且能润泽,不像别的粉涩滞。(「これは鉛の粉ではなく、紫ズーモーリフア茉莉花(ムラサキマツリカ)の種たねを砕いて作ったものです。」平ピンアール児がそれを手のひらにのせてみると・・・他のパウダーとは異なり、均一で潤いがある。)のようにオシロイバナが紫むらさき茉まつ莉り花かという名で登場し、その製法が簡単に説明され、実際の使いごこちの良さが表現されています。改めて鑑みるに、まさに天然素材のオーガニックファンデーションな訳で、将来オシロイバナの白紛が化粧品素材として見直されることもあるかもしれませんね? この他にも、オシロイバナは夕方に咲き始め夜に萎んでしまうことや、夜にだけ芳香が現れたり、種の形が釣鐘型であったりと、やたら面白い性質を持っています。もしかしたらオシロイバナの名の由来は「オモシロイハナ」だったのかも?執筆 愛知豊明花き流通協同組合 理事長 永田 晶彦 ボントクタデはタデ科で、ポンツク(間ま抜ぬけ者の意)が変化しました。ヤナギタデ(ホンタデ)は葉に辛から味みがありますが、辛味がないのでボントクタデになりました。 水辺や湿地に生える一年草で、高さ五十センチから一メートルになります。茎は直立して枝を分け、粗く短い毛を散生するか無毛です。しばしば赤みを帯びます。葉は短い柄があって互生し、長さ五から十センチ、幅一から二センチの披ひ針しん形けい~広こう披ひ針しん形けいで全縁、基部は細まって先は鋭くとがります。葉に辛味はなく、両面の脈みゃく上じょうに伏ふく毛もうがあり、へこんだ腺点が散生し、表面中央に八の字状の黒い斑はん紋もんが出ます。この斑紋で簡単にボントクタデと判断できます。乾くと茎と葉は赤褐色を帯びます。茎の先や葉よう腋えきの総そう状じょう花か序じょは長さ五から十二センチの細長いひも状で先は垂れてまばらに花をつけます。 同じく花序が垂れるヤナギタデは花がボントクタデより密につき、葉をかむと辛味がありますので、試してください。豊明市史(自然)編集員小笠原 昇一葉をかむと辛くないボントクタデ一株に色々咲き分けるオシロイバナ(jujin/PIXTA)沼地に生えるボントクタデ筆者撮影37

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