広報とよあけ 令和2年4月1日号
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43“とよあけ花マルシェ”とは、花の街として豊明市をPRするために花イベントや花関連商品などにより、花に親しむ暮らしをお届けするものです。毎月花情報を連載しますので、お楽しみください。とよあけ花マルシェコラムとよあけ花マルシェコラム 学校やお役所、そして多くの企業が一年の節目を迎え、新年度が始まりました。戸外を散歩すればサクラをはじめいろいろな木や草が花を咲かせていますが、ちょっと小さめの木にたくさんの山やまぶきいろ吹色の花が咲いているのを見かけたことはありませんか?「ええ、株立ちになった細い枝の先にきれいな山吹色の花が咲いている小さな木、よく見かけますわ。なんという花かしら?」ご報告ありがとうございます。これこそが山吹色という色の名称のもととなったヤマブキという木です。 ヤマブキはバラ科ヤマブキ属に分類される種しゅで、鹿児島県以北の日本全土および中国に生息しています。日本には一重のヤマブキと八重のヤエヤマブキがあり、このうちヤエヤマブキは雄おしべ蕊が花弁になり、雌めしべ蕊も退化してしまったので、実をつけることができません。ヤマブキの歴史は古く、『万葉集』には4首が詠まれています。その後も文学にたびたび登場し、『後ごしゅういわかしゅう拾遺和歌集』雑五にある中なかつかさきょうかねあきらしんのう務卿兼明親王の歌として「七しちえ重八やえ重 花はなハはさ咲けけとどもも 山やまぶきの吹乃 見実のひとつ多だに尓 な無きぞきそ可悲しきなしき」と記されています。「どのようなことを詠った歌なのかね?」ええ、これはヤエヤマブキが花は咲いても「実のひとつさえ(生なら)ない」ことと、あまりに生活が貧乏で「蓑みのひとつさえ無い」ことを掛けて詠った歌です。この歌を有名にした逸話が『常じょうざんきだん山紀談』巻の一(天てんぶん文以前 湯ゆあさもと浅元禎さだ)の「太田持もちすけかだう資歌道に志す事」の章にあります。江戸城を建立したあの有名な武将太おおたどうかん田道灌が文学通とも成りえたとても良いお話を紹介し、今回はお別れです。本年度もよろしくお願い申し上げます! 太おおたさえもんだゆうもちすけ田左衛門太夫持資(後の太田道灌)は鷹狩に出て雨に逢あひ、或ある小屋に入りて蓑を借らんと言ふに、若き女の何とも物をば言はずして、山吹の花一枝折りて出いだしければ、(持資は)花を求むるに非あらず、とて怒りて帰りしに、是これを聞きし人は、其それは、『七重八重花は咲けども山吹のみの一つだに無きぞ悲しき』といふ古歌の意こころなるべし、といふ。持資驚きて其れより歌に志を寄りけり。(『常じょうざんきだん山紀談』永井一考 有明堂 大正15年より抜粋)執筆 愛知豊明花き流通協同組合 理事長 永田 晶彦写真は筆者撮影 アリジゴクはウスバカゲロウという昆虫の仲間の幼虫です。この仲間は日本では十七種しか生息していない種数の少ないグループです。それにも関わらず、全種の幼虫の姿形と、ある程度の生態が解明できたのは二〇一三年になってのことですから、調査が難しい昆虫のようです。豊明市では市史自然編の調査でコカスリウスバカゲロウが発見されていましたが、追加調査でようやく写真のウスバカゲロウという種も確認できました。 この仲間にはモイワウスバカゲロウという山地性とされる種がいます。ところが、平野部に近い東海市と大府市で記録されており、豊明市でも探している最中です。これはモイワウスバカゲロウが本当に山地性なのかという疑問があること、山地性の種とは別の、よく似た平地性の新種がいる可能性があるのではないかという興味があってのことです。既存の種と比較できるよい標本となる個体が採集できるように、調査を継続していきたいと思っています。豊明市史(自然)執筆員吉鶴 靖則アリジゴク(ウスバカゲロウの仲間の幼虫)~未知の部分がまだ残されている?~二村山の展望台下で発見できたアリジゴクの巣巣の底から掘り出した幼虫終齢(しゅうれい)幼虫の場合で、体長約15mm、巣の直径が約60mm奈良県万葉植物園のヤマブキ(筆者撮影)

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