広報とよあけ 令和元年9月1日号
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39“とよあけ花マルシェ”とは、花の街として豊明市をPRするために花イベントや花関連商品などにより、花に親しむ暮らしをお届けするものです。毎月花情報を連載しますので、お楽しみください。とよあけ花マルシェコラムとよあけ花マルシェコラム 暑さも峠を越し、蝉の声も日々遠ざかっていくこの時期。若い頃は何かをやり残したまま夏が過ぎ去ってしまうようで、もの悲しさを感じたものです。「分かる分かる。夏休みの終わりには、もっと勉強すれば良かったなぁっていつも思ってた」「私は好きな人に思いを伝えられなかったのが残念」う~んまさにそんな夏の終わりでしたね。そんなセンチメンタルな秋の始まりですが、見渡せばいろんな花を観ることができます。その中でもひときわ個性的なのがリンドウの花です。 リンドウはリンドウ科リンドウ属を指し、世界中にたくさんの種が生息しています。日本にも独自の種があり、山野・湿原で見ることができます。このうちササリンドウとエゾリンドウなどから改良された品種が鉢花や切花として栽培されているので、この時期お花屋さんに行けば、たいてい並んでいます。リンドウの花の個性は吊鐘状の形もさることながら、その色合いにあります。濃青紫の鮮やかさは他の草花を圧倒し、『枕草子』六十四段にも「龍りんどう胆は・・・(中略)いとはなやかなる色あひにてさし出でたる、いとをかし」と表現されています。 リンドウは中国語の「竜ローンダン胆」を音読みした日本語ですが、その命名については伝説が残っているので、ここにご紹介申し上げ、今回は失礼いたします(ちょっと長めなので今月は写真無しです)。 昔、蛇へびがみ神は曽ツォントン童という貧乏な牛飼いを、その誠実さを見込んで養子にする。成人した曽童は自立にあたり、母からの餞別として、母である大おおへび蛇(蛇神)の腹に入り、胆を針で突き、その胆汁を一瓶分けてもらう。曽童が都へ赴くと、皇帝が太子の胃の病を治す者を探していた。曽童は太子に胆汁を施し、病を治した。しばらくすると今度は皇女が同じ病になり、皇帝は皇女と結婚させることを条件に曽童に皇女を治すよう頼んだ。曽童は蛇神を訪ね、改めて胆汁を要望した。蛇神は少しであれば構わないと、曽童を腹に入れたものの、曽童は欲が膨らみ、必要以上に胆を刺し、多くの胆汁を出させた。蛇神は痛みに耐えきれず口を閉じ、曽童は腹に閉じ込められ死んだ。蛇神の口からは胆汁が地面に流れ落ち、雑草が蛇シェァダンツァーオ胆草に変わった。曽童は自業自得であるが、皇女の病は治さねばと蛇神は老婆に化身し、皇女に蛇胆草を施し、皇女の病は回復した。皇帝は喜び薬草の名を尋ね、「蛇胆草」と聞いたものの、なぜか「竜ローンダンツァーオ胆草は良い、竜胆草は良い」と思おぼし召めしになり、以後この草を「竜ローンダン胆」と呼ぶようになった。その後蛇へびがみてら神寺が建てられ、寺には一対の言葉が刻まれた。「誠実であれば欲を持たず蛇神を母として敬い、欲深ければ母の胆であっても刺し身を亡ぼす」“心平还珠蛇神为娘,心贪刺胆蛇娘吞相”(意訳:筆者)執筆 愛知豊明花き流通協同組合 理事長 永田 晶彦写真は筆者撮影人皆は萩を秋といふ縦よし吾は尾花が末うれを秋とは言はむ  (万葉集巻十作者不明) ススキは、日本の野山に広く見られるイネ科の多年生草本です。冬期は地上部は枯れ地下茎で過ごします。憶良が詠んだ「秋の七種くさ」のうちの一種しゅです。秋に花かすい穂を出し、それが動物の尾を思わせることから「ヲバナ」ともいいます。秋の日ざしを浴びて銀白色に映えた花穂が、秋風にそよぐ風情は、萩にも負けぬ秋の風物詩ではないでしょうか。 ススキと言えば、昔から十五夜(中秋の名月)に、サトイモや団子と共にススキの花穂を飾ってお供えする「月見」と言う風習がありますが、なぜススキなのでしょうか。これはおそらく中国あたりから伝わった農耕儀礼の名残ではないかと思われます。 月は農耕の時期を知る暦の基となる重要な存在です。秋の収穫期の満月に、収穫したサトイモや稲穂を供えて収穫の感謝や豊作祈願の時、未だ稲穂の実りが間に合わなかった時の代替として使用したのが始まりではないかと考えられます。今月十三日は十五夜、空が晴れるといいですね。豊明市史(自然)編集委員成田 務ススキ(ヲバナ)―身近に見られる     秋の風物詩―ススキ

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