広報とよあけ 平成30年6月1日号
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29Information明治の写真から見る 桶狭間古戦場伝説地江戸から明治に建てられた貴重な石碑が見られます。国指定史跡桶狭間古戦場伝説地(栄町南舘11番地)七石表一号碑の絵はがき(個人所有)七石表三~七号碑の写真(豊明市教育委員会所蔵)29場所に塚が建てられた、と記していることから義元討死の地は、義元塚の建てられた場所辺りと考えても矛盾はありません。 さらに、義元塚(墓)が大脇村の内にあり、東海道から一町程(約109m)南に入った場所にあったとする文献の記述と現桶狭間古戦場伝説地内の今川義元墓が国道1号(江戸時代の東海道はこの辺りを通っていた)から約100m南辺りにあることは、偶然の一致とは言い難く、現在ある今川義元墓が、1628年以前よりその辺りに存在していた可能性は非常に高いと考えられます。 これらの文献の内容をそのまま採用してまとめると、義元討死の地は、今川義元墓(現桶狭間古戦場伝説地内)辺りということになります。著 文化財保護委員鈴木兼幸参考文献・・・関東下向道記(1628年)、東海道日記(1652年)、今川義元桶迫間合戦覚(1706年)、張州府志(1752年)、佳境遊覧(1722年)、蓬州旧勝録(1779年)、尾張名所図会(1841年)、寛文村々覚書(1661~1673年のまとめ)、尾張名勝志稿(1712年)、友千鳥(1748年)、尾張国名蹟略志考(1745年)、尾張徇行記(1808年)、尾張志(1843年)、東海道巡覧記(1745年)  他  明治26年 大脇村・大高村の一部(桶狭間)地形図(豊明市教育委員会所蔵)※○…今川義元墓

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