とよあけの自然 

西高東低の地形 ~豊明は東西交通の要衝~

西高東低の地形の画像

 

 

 豊明市は、西に高く東に低い「西高東低(せいこうとうてい)」の地形を示しています。そのため、市内を流れる中小河川は西から東へ流路をとり、市東端部を流れる境(さかい)川へと注いでいます。丘陵地を削りとる河川の下刻(かこく)作用は思いのほか大きく、谷地形を道路がまたぐところでは、驚くほどのアップダウンを生じています。
 境川が、古来、三河と尾張を分ける明瞭な境界線として重要な役割を果たしてきたのは、ここに「猿投(さなげ)―境川断層」と呼ばれる大断層がのび、地形的に大きな変換点を作っているからに他なりません。
 弘安(こうあん)2年(1279)、京から鎌倉へと旅した阿仏尼(あぶつに)(十六夜日記(いざよいにっき)著者)は熱田の宮に詣(もう)でたのち、二村山(ふたむらやま)から伊勢の海を眺(なが)めたといいます。この頃、鎌倉街道といわれる重要な交通路が、豊明市域を通っていました。
 現在、二村山山頂に三等三角点、高徳院と豊明小学校には一等水準点が設置されていて、愛知県内の三角測量や水準測量の基準点として役立っています。時代が下り、江戸時代には東海道、近現代になると国道一号と名四国道が通り、豊明市はその地形的特質から今も昔も東西交通の要衝(ようしょう)だったのです。

 

市史編集委員 森 勇一